必要なことがやっぱりちょっと抜けてるっぽくて。とりあえず今は聞き流していい。「なぜ認知科学の六角形に文化人類学が入っているのか?」
はぁ?
社会的な人間っていう目線でしかすでにゲイを見てはいない。だから変なことを見落としてしまう。後で知ったんだが、大学を卒業した後に、日本人って意外と人間っていうのを高度に文化的な目で見てしまうもんらしい。だから女形の女装とかも、割と平気な目で見れるのもおそらくあるいはそれが理由だろうと思われる。すると、「今週、あのゲイは、やりたがってた。」「なぜ?」「たまってたから。」っていう単純な意味での「男としての真実」を意外と変に見落としてしまってくるら。
大学の頃から本格的に2パターン作って同時に進めることになった私は、大学の専門の認知科学の方でも実はそれをやっていた。大学の認知科学科の方では正規のカリキュラムでは、心理学・情報科学・言語学ぐらいしか実は扱ってはいない。ちなみに認知科学の六角形とは、「認知革命」という定番の本に書いてあって、しかし今の時代には「古典的」とか「もう古い」とか「アカデミックというよりジャーナリスティック」と評されてて、もうあまり読む人がいなくなってる。そもそも認知科学っていうのが1950年代か60年代頃にアメリカで、行動主義心理学への反省から、人間の認知現象を解明するために総合的な科学と学問として作られたもんなわけ。
Philosophy
Psychology Linguistics
Artifical Anthropology
Intelligence
Neuroscience
原著より引用してみた。ちょっと忘れちゃって。
ちなみに東大の大学院に行った砂川の専門も人類学なんだけど、それとは別に独自に調べてて、「人類学的な観点と知見がないとほんとはこうなっちゃう。」って一人で思ってて、しかし認知科学で業績を上げることは私がやることじゃないから、私しかそんなことを知ってる人間がいないとむしろ困ってくるだけで、実際に困ったんだけど。
だからつまり、
1. 大学の正規のカリキュラムで、心理学・言語学・情報科学。
(神経科学は脳科学だから医学になって制度的にも医学部でしか教育できない。)
2. 哲学・文化人類学・神経科学(脳科学)。大学の認知科学科で非正規。
こういう2パターンがあって、それを同時に進めてた。だから解剖学者の養老孟司の本ばっかり変に読んでたりもする。
ちなみに砂川と認知科学の関係は不明で、たまに学問上の情報交換をしてただけで、いや、私となんだけど
・・・・・・。?
東大に行ったから逆に「らしくなくなってきた」ことで。本当は何を言おうと思ってたかっていうと・・・「ゲイの真実と本当の実態」って言った時に、普通の人にはこの言葉が理解されないらしい。「ゲイの真実」っていうのをどこからどういうふうに考えてるかっていうと・・・まさにそれがわかんないらしい。「一人の彼氏と愛し合うのがいい。」っていうのをゲイがノンケの価値観を内面化して言ってるわけじゃない、っていう意味でもある。むしろ「最もゲイらしく」考えたうえでの一つの観点だから。
・・・ほんとにわかんない気がする・・・。男と女の鋳型で考える無意識のクセに無自覚かも......
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