自分の時がそうだったからって、中学の頃に完成し高校でそれが崩され、また高校で完成し卒業後にそれが崩され・・・そういうやり方のクセがありすぎる。剣道で、なんだけど。そもそも実際にそう思いすぎてるっぽい。
理由の一つに、当時はこの地域では剣道部そのものが一つの重点施策だったことで、人材も豊富で競争も激しく、結果として陽にしか部長もリーダーも務まらない、毎年代えればいいだけだからって言ってずっと陽の時代が続きすぎたからだった。
おそらくどっちかっていうと、食に関する仕事で成功した点も含めてそれなりに似てる気がするから、どっちかっていうと、髙木の方が「大学的」だから。つまりまさふみの方が「高校的」ってこと。
・・・・・・。う~ん・・・
おそらくそう思ってるっぽい。つまり「大学的」にもし考えるとするなら、今の富士宮のイオンモールで、90年代バディっぽい都会のスタイルを、必ずしも選ばない。なぜならそれは「高校的」だから。
特に違いをわかりやすくする言い方をするなら、・・・そう言えばそうだった、高校で言語学なんて習わなかった。ソシュールとかシニフィアンとかシニフィエとか言い出すら?高校ではどこにも出てこないら。
・・・・・・。それを教えろ。その秘策を。
・・・また偉そうに・・・。でもほんとにそう思ってる気がしてきた。高校卒業後に片づけられた自分とは違って
・・・・・・。片づけられた・・・
髙木をはじめ幾人かは私と同伴するように言われて、大学からか......浪人時代はまだ違った、だから私が大学入学後にセンター試験レベルのことをひと通りやらせることになった。この辺ができないとどうせついて来れなくなるから。もともと職業スキルは割とそれに近い状態に達してたから、落ち着いてこなせばもはやさほど難しくはなかったはず。そしていつまでも大学受験ごときに留まってないで、大学に進むと実はこうなる・・・って言ってそのまま進んだらしい。
おそらくまさふみは逆のパターンになるはず。むしろ留まった。つまり東大にこだわるのはまさふみの方で、髙木はそこに固執してないはず。だから大学からさえ離れてしまってもいいはず。
ジャンボに同情したところで、ズルズルこのまま歳ばっかり取るだけに決まってんのに。
ウザったいに決まってんじゃん。お前らみたいなのばっかりだったらウザったいに決まってんのに。
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