C言語って言うのを、現場の実用上の都合で、高校英語ふうにこう読んでしまってる。
No one of us / can cut ourselves off from / the body of the community / to which we belongs.
は?低偏差値大学のくせに....英語でバカにする。
バカにされて当たり前だから。スラッシュの位置は、
①文法の区切れでつける。
②意味の区切りでつける。
③ネイティブの発声の区切りでつける。
の大きく3パターンがある。このレベル帯の教材も実は用途に応じてそうなってる。リスニング教材は③が多い。さもなくば著者と出版社が本気で勘違いして間違ってるかどれか。③だったら正確によくわかってるネイティブにゆっくり読んでもらうことになる。すると、No one of / us ....って us を強調するように読むはず。
君らはおそらく現場の実用上の都合で、UNIXコマンドを ls -al って覚えているだろう。それで当たり前だと思っちゃってる。つまり多くは②で考えてる実は。しかも英語の文に対しておそらく日本語の意味で考えてしまってるだろう。それだと英語を慣れで読んでるのに近い。ナニナニが、何何を、なになにに、する。する。カタマリで読む。読書百遍意自ずから通る!四書五経入門!魏志倭人伝!
ちなみに②の場合、can cut ourselves offのところを、若干意味の区切れで見なして、... us (S) / can cut (V) / ourselves (O) / off / .....としないで、... us / can cut ourselves off / from the ....と区切ることを意味する。前者の方が細かいから若干端折った形になる。長文を読む現実になると、構文が取りやすい簡単な英語でいちいち前者のようには読んでられないから、さっさとそう読んでいくこともあるときに使う説明の仕方になる。
ちなみに②は、君んとこ得意だろうけど、大学受験よりもむしろ聖書翻訳で本格的に問題になる。先に意味がないと決まらなかったり、教義上、先に意味が決まってしまう場合がある。つまり、実を言うと、何を言ってるかわかんないかもしれないけど、キリスト教的に翻訳された聖書と、古典文献として学術的に翻訳された聖書の、大きくは2種類が存在する、実をいうと。日本だと前者は聖書協会の翻訳で、後者は岩波聖書翻訳委員会の翻訳になる。
0 件のコメント:
コメントを投稿