2024年5月12日日曜日

女として抱かれる

 どっちかっていうと、私の名誉を傷つけたり男として恥になることを気兼ねして語られなかったんだけど。君らから見ると日常的な意味をはるかに超えてむしろ非常に極端な意味になる。もっと露骨にカジュアルに「プレイで」って言ってもいい。なぜならむしろその方がよっぽど強烈な具体性を持ってしまうから。ほぼ禁術。
 何が言いたいかっていうと、仮にこの禁術でマジで女として抱かれると、女として犯されると、それは実は多くのゲイの男たちにとって、全く望んでいるものとは違ってしまう。一見当たり前に思えるだろうが、ネコでもマゾでも、本心では実はそれを望んではいない。極端な方から地道に調査とロジックを積み上げると、結論としてやはりそうなる。何が極端かって、自分が男で相手も男、そしてその中に「抱きたい・抱かれたい」っていう望みがある。その極端さになる。自分が男であることのこだわりとは別に。つまり、「抱きたい・抱かれたい」と「自分は男である」っていうことは、それなりに独立的な変数として計算しないと、おそらく現実に真実は導けないだろう。つまりこの禁術っていうのは、
 「自分は男である」=「抱きたい」
 「自分は男である」=「抱かれたい」
結局タチでもネコでもこうなってるところから、「自分は男である」と「抱きたい」を器用に消すってことでもある。それをセックスっていう強烈な具体性の中で行うことになる。逆に強烈に具体的になる。
 禁術には禁術だけど、ポルノでは使える。もちろんわかってる人がやってるんだけど。その意味では意外とよくそれを見てるわけでもある。
 その意味で言うと極タチっていうのは逆に陰男でも作れてしまう。しかもAV業界とかの淫靡な世界は陰男には活躍しやすい領域でもある。ある意味そういう淫靡な領域は陰気だからって意味でもある。実戦ふうの言い方をすれば、技能を早く正確に習得することそのものも才能と適性なんだが、さらには実戦の最中にその判断の的確さもそうなる。あるいはそれを機転ということもある。それを狙って高める。ある意味、性技の領域で私がそうじゃなく権力の領域でそうだから、でもやっぱりそれだと男らしすぎちゃってくるんだけど、他の人に的確に判断でない場面のために普段は保留して棚上げしてあるだけってこと。
 タチだから気がつかないけど、極タチも禁術。同様。タチ的な欲望と快楽を集めて高めるんだけど。タチだとこう思っちゃってる。

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今、報告があったんだけど、

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