2024年5月5日日曜日

「車輪の再発明はしませんように。」

 今こんな感じ。問われるのは・・・君ら。Googleとかの方。
 20代後半に東京のIT企業を辞めて実家に帰ってきた頃の様子と似てる。私が、ってこと。名のある日本企業が名を連ねてLinuxとオープンソースに取り組んでいた頃。日本企業がオープンソースっていう著作権的にも利益的にも、自社に有利かどうか定かないことを大っぴらにやっていたっていう意味では確かに画期的だった。が・・・その後にかなりの問題になった。実は彼らは本当のUNIXを本当は知らなかった。Sun(現Oracl)のSolarisのオープン版OpenSolarisやIBMのAIXでさえ本当の意味ではそうではなかった。他のLinuxならいざ知らず。正式にUNIXと名乗っているものさえそうではなかった。彼らは本当に知らなかった。
 で、逆に、そうやって間違えてしまうんなら・・・ちょうどMac OS XもUNIXの許認可の申請を出している時で、どうせその手のことで一緒にやるなら、私が大学院でコンピューター・サイエンスをやってることにして、IBMのThinkPadに、FedoraやDebianでさえなく、KDEでさえなく、イギリスのUbuntuをインストールすることにした。イギリスもこの意味では若干遅れてて、アメリカよりも、どこがわかってないかわかってはいなかったから。ThinkPadにUbuntuをインストールして、どうしてこのままだとUNIXとして認められないのか、どうしてもっと前からずっとUNIXを元にMac OS Xが作られたのか、同時にMac OS Xを正式にUNIXに仕上げて東大に納入する話になった。東大の情報科学部でコンピューター・サイエンスで現実に使えるように。

 この辺の頃の話をしてる。

 わかんないら、たぶん。彼らは実は正義を履き違えてしまっていた。オープンソースの正義を。東大納入ぐらいの要求水準を出さなかったら、おそらくやっぱり意味さえわかんなかったっぽい。
 どっちかっていうと、LinuxがLinuxである本当の理由っていうのが、そもそもUNIXが大学に由来することにある。最も本来的に極端に言うと、UNIXは大学にあるもの。それ以外の場所に適宜自分であれこれ改良したのをLinux。その後の展開で考えてみると、おそらく最も本来的にはそう言ってた気がする。今その当初の様子を少しだけ再現してて、だから私のこのMacBook AirにBootCampでWindowsをインストールしてるわけでもある。まだ実験段階でもある。実はこのMacBook Airは今は完全にUNIXであることをそこそこ諦めてる。それなりに実社会での実用性を重視してるから。実はほんとはちょっと違う。まぁ未来の大学では逆にわかんないけど。もし未来の大学で教材や教科書に電子書籍などを豊富に使うことがあるとすれば、その意味では未来の大学になる。だが今の時点ではまだちょっとわかんない。ちゃんとした本が読めることが大学では必要なことになるから。

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