で、「月下獄経」ってどういうのかというと、まず先に、パレードとNLGRで始まりゲイコミュニティーに恩赦まで出されたところから始まったゼロ年代は、急には話について来れない当事者もかなりいた。現実にはゼロ年代中盤ぐらいまでずーっとかかった。だからゼロ年代に持ち越されてしまった90年代っていうのが「月下獄経」が描いてることになる。このマンガにはストーリーっていうのがさほどない。後半になるほどその傾向が大きくなり、ほとんど場面描写のつぎはぎになる。なぜならストーリーとして描いてしまうと、辿り着く地点がこのマンガにとって意外過ぎる結末になってしまうから。なんならそのまんま出てくりゃいいじゃん。NLGRにでも。結論がそういう結論になってしまう。だからストーリーとしては描きにくいもんだったから。
わかりにくいかもしれない。90年代はまだ行政権の方では<同性愛者の人権擁護>の頃だった。まだゲイの人権擁護じゃなかった時代。だから隠れホモみたいに、まだ隠したい、隠れていたい人たちもそれなりに多かった時代。そういう時代の感覚だからわかんないかもしれない。
例えていうと、同性愛者の人権擁護からゲイの人権擁護へと変わっていくための難点をしらみつぶしにこのブログで一つの記事をワンテーマづつで描いていったら、つぎはぎの連続になるら。ちょうどそういう感じらしい。だからこう、
ジ悪
ャ霊
ン退
ボ散
っていうお札を全ての難点につけて回ってるみたいな感じ。除霊や厄除けの方法の応用らしく、お寺でやってるやつ、だからお経のカタチの名前を取ったらしい。「月下獄経」っていう創作ネーミングのお経として。ロマサガ3の大剣・月下美人と名前が似てるのは、それは意外と関わりがあるから。ちなみに肛門の隠喩の菊はキク科なのに対して、花の月下美人はサボテン科に属する。泌尿器科と産婦人科みたいなもんかもしれぬ。
まだ隠れていたいってことは、「月下獄経」の中でやってるその男と、NLGRの当日に一緒に出てきたりはしないってこと。こういうことがまだできない人たちだったってこと。
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