2024年5月13日月曜日

何を言ってるのかわかんないっぽいやっぱり。

 ノンケが、夫が妻に期待するような、ねぎらい。それが一部にゲイバーのお水に客が求める事柄としてある。
 確かにマジメ系のゲイ活動なら、公的な取り組みと彼氏ができて1人の男のものになることが両立してるように見える。が、そこには、うっすらと表面的で偽善的なところがある。だから代わりに、私生活を失う。もっと露骨に言ってもいい。二人のセックスライフで欠落などが発生してくる。いや、本人らは困んないんだけど。逆に誰も二人の私生活とベッドの中には入れなくなるから、他がそれを、知り得ない・得られない、に陥る。お水っていうねぎらいも同様。なぜなら妻は他の男にそうしたりはしないから。
 確かに後の調査でゲイバーが持っている機能の一つとして、情操教育、と呼ばれるものがあったと判明した。その一部をネットのサイトや動画やゲイマンガで代替することはある程度は成功した。お水のねぎらいは無理?そうじゃなくて、今初めて目の前の問題が同定されたから、つまり今目の前の問題がそもそもどうなってて、いったい何がどう問題になってて、だったらどうしないとなんないか、ってやっと考える糸口ができた、って言っただけ。生身の現実の接客でなければそれが無理なのか、あるいはもうちょっと工夫すれば同じように、ネットを使ってできるか、そもそもそれ自体が今の時点では、わからない。

 ん~・・・・・

 すごい頭悪い。BL小説を、ほぼ全編お水っぽい叙述に仕上げてみることで、ゲイバーに行けない普通の日に、寝る前のベッドの中でちょっと読んでみると、お水のねぎらいぐらいにはなる?代替方法はありうるかも。フランス書院って感じ!まぁそうなのかもしんない。ファミコンだってそうやって作ったんだから!は?娯楽、もっと露骨に花札で遊ぶ・遊ばせる・愉しませるっていうことを、元は人間の手でしかできなかったことを、成果を集めてプログラミング化したことで、コンピューター・ゲームっていうものが誕生した。だから原理的にはお水のねぎらいも同じようなことは可能かもしれない。普段使いぐらいには。ただまぁファミコンは子供向けになるわけだけど。対象は実際に子供になる。それが任天堂にとってアイデンティティー問題にさえなる。
 そこにあったのは働く男たちへのお水のねぎらない。ま、慰労とも言う。だからコンビニで弁当を買ってきて一人で食べるのが異様にさびしく感じてしまう。同じことを、コンビニで弁当を買ってきてNAN☆NANで食べるんだったら、きっとそう思ったりはしないはず。当たり前じゃん。だから、まさにそれ、ってこと。先にこう言ったほうがよかったらしい。

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ゲイ問題で言う?

どう言ったってクソすぎる。 どう言ったって優子の感覚なんてクソみたいだったらしい。ジャンボの責任を取ったのって優子じゃないしな。