>お詳しいですもんね。
君らが予想してる以上にね。しかしSタチのそれを描いてもエロ本にはならない。なぜなら読者がエロ本として読みたがんないから。ここに、男の欲望の形式的な構図が存在する。マゾネコの調教ストーリーでもなかったらエロ本になんかなったりはしないし、読者も読みたがらない。
実はだからゲイマンガの大半っていうのは、センターに必ずネコとケツが来るように描かれてる。意外と見落とす。センターにタチとチンポが来ることは実は滅多にない。そもそもエロ本として成立しなくなる。この現実の実態を意外と見落とす。どちらも同じ当事者だから。どちらも同じゲイの当事者なんだけど、エロ本として描かれるのはこの構図にほぼ限ってしまう。
奇しくも和田氏がアメリカから日本に紹介したコフートの共感性理論っていうのがあって、フロイト派にはなくてユング派にあるものを、フロイトの正統後継者たちが編み出した技法でもある。が、難点があまり知られておらず、クライアントの相手に共感しようとするから、下手すると医師が相手に飲まれてしまうこともある。ま、ユング派もそうらしいんだが。
で、実はそれを乗り越えることが可能になった。弱体化魔法。クライアントをなるべく弱らせる。手に負える範囲に矮小化するとも言える。
いったいこれが何の関係があるかっていうと、男らしさを抑圧してきたゲイの当事者のそれを解放することに成功したのが実は私だからでもある。
jumbo>「重箱の隅っこをほじくるどうでもいいことの研究大全」もんちゃんちょ!!!
エロ本はネコのケツがセンターに来る☝
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