もちろん通変星の星のことでもある。他には特殊星でも使われる。現実の星の意味とは別の意味とそのままその意味の可能性がある。「神」は働きで「殺」はそれを止めることだというのは大雑把にはおそらくその通りで、だから「星」も似たような種類のキータームになるはず。しかし「神」が意味するのが神様ではなさそうで、なぜなら十種類ある通変星の中で神の名がついてる食神だけが特別に神様っていうのも辻褄が合わないし、だったらそれをいうなら、通変星の十種類の全てが守り本尊に似た意味になる気がする。
お寺が発行している萬年暦の占いでも、縁起がいい神と形相が悪い神の両方がやっぱりあって、全部を縁起がいい神だけにすると、逆にバランスがおかしくなる。おそらくそれに似た観点だろうと思う。誰がどう見てもブクブク肥え太った豚でしかないキモオタアキバオタクを、ジャンボといっしょじゃん、生まれた時からみんなして、イケメンですよイケメンですよ、って持ち上げてたら想像するのさえ嫌悪を催すような醜い人間になるに決まってる。
通変星っていう、機能性や軌道を星という人称代名詞のような仮象に固定して見なす考えは古来より多く見られて、科学が今ほど発達してなかった時代にはそうやって表すことがよく見受けられた。例えば?少しは自分で考えろ。司法権上の調査権のように、お白洲とか岡っ引きとかは、司法権っていう権限上の立場でそれを許されてる。そして権限っていうのは目には見えない。なぜある人には司法権上の捜査ができて、他の人にはできないのか。
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