2024年9月2日月曜日

本人のやりがいの方向性・・・

 そこにはもう自分たちにしかできない一つの頂点だっていう意味もなくなり、もはやそこらで誰もがやってることに成り下がる。そしてそれでいいはず。
 だったらその後の私たちは?
 って、もちろん、世のためでも人のためでもなく、ただ自分たちのためだけに好きでやってることでしかない。
 ・・・そう思えてはいない気がする・・・
 もしまだ、まだ40代の働き盛りだからやりがいのあることに関わっていたいのなら、チャンスはないわけじゃない。今までの経験を生かした方向性で。しかし次はもう一流にはなれないだろう。ま、二流か三流ぐらいにはなれるかもしれないが。まだ富士・富士宮でラブホやアダルトショップの話をしてる。そこにゲイが参入できる。今まだそういう計画の話をしてる。あるいは今度は山梨側でそう言ってくるかもしれない。だからまだチャンスはあるにはある。
 そこで、もういい歳なんだから、自分と相談して、他の人とも相談して、それなりにさっさと答えを出さないとなんないはず。時間をすでにかけすぎてるぐらいだし。諦めたら諦めただけの結果にしかきっとなんないだろうきっとお前の場合には。
 そういう感じ方してる気がする。
 そこで、内心まだあれこれいろいろと未練があるのに、分別のある大人だからって無理に諦めてしまうと、むしろこうなってしまう気がする。
 今度は二流か三流か、下手したら雑用にまで成り下がるかもしれないが、それでもこうなるよりはマシなことな気がする。
 KO men's tvの掲示板に自分の書き込みを載せる時に、どう思った?
 その可能性は否定できない。動機の方。最も単純な意味で書き込みの通りにやれる相手と出会えればいいと思って、そう載せた?どう見ても違うら。それが本当のおまえなのきっと。

 ・・・それは雑用ぐらいにまで成り下がるかもしれない。要するに今まで他の人たちがやってくれてたような周辺的なサポート業務の方に回ることになるかもしれないって意味でもある。ラブホでのテレビ番組の手配はどうだった?とか。この手の業務。

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