それはそうなんだけど、なぜそんなことがそもそも刺激になるのかっていうと・・・あかの他人の男たち、つまりお仲間の前で自分を晒せって言われても・・・人が思うほど実はなかなかできることじゃない。自分ではやってるつもりでも、意外とうまくできないもんでもある。
ある意味、それを様式化したものが、SM。SとMっていう役割に2分して、Sとして自分を「形式的に」晒す、Mとして自分を「形式的に」晒す。特に最初ほど、ほぼ「形式的」になる。自分をさらけ出すきっかけとして。
実は最初ほど形式的になって、だからつまり、それこそマンガに描いてある通りのことを言ったりやったりする。次第に慣れてきて、その「形」に「自分」を乗せる。おそらくそれが意図されてる。
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