どっちかって言うと・・・平井の方が自民党が公明党と連立する都合で、要するにまぁその煽りを受けて、創価学会に行った形になる。だからその意味で言うと両者はそれなりに意味が違う。酒井の方はその後に「政治の理屈それ自体」のために、そのまま真っ直ぐ公明党に行き着いた形になる。そしてそれがこの世代の限界になってしまった。
って思ってる真っ最中らしく、バディ全盛期の他の連中も「公明党なら・・・」って信じ込んでるっぽい。
って思ってる真っ最中らしく、バディ全盛期の他の連中も「公明党なら・・・」って信じ込んでるっぽい。
なぜかわかる?「政治の理屈それ自体」のために真っ直ぐ進んだわけじゃんね。司法の理屈や行政の理屈、あるいは立法権で、って言うのとは実はそれなりに意味が違うってこと。あるいは完全に民間の理屈で、おら知ったことちゃねぇ、とも言ってはいない。何気にそうでないからこそ、癸丑カンパニーっていうのをそういう存在にする必要さえあってしまったわけでもある。
そんなに意味わかってない奴らっぽい。
単純に、公務員っていうのがどういう人たちなのかもわかない世代っぽいんだって。つまりこの世代にとって公明党っていうのは、実用ツールとしてのMacBookと同じようなもんで、創価学会の政党かどうかの意味は当然もちあわせてはいない。ある意味、当たり前な気がする。
リベラル政権時代に民主党の支持母体だったのが立正佼成会だったかどうかなんて、世の多くの人にはさほどの意味も持ってはいなかったのと同じように。
まだ勘違いしてそう思ってるらしい。もちろん酒井が法華経なんていちいち読んではいない。政治の理屈でそうなってるんだから、当たり前だったんだけど・・・ほんとにどっかで変なこと言ってるっぽい。
信教の自由の侵害なんで・・・。もちろんいけしゃあしゃあとそう言うに決まってるんだけど。
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