もちろん「この顔でバディの表紙は飾れない」奴らが多い。
だってバディ程度の話してくるんだもん。
・・・ちなみに参考までに。ここまで知らないんじゃたぶんホントに意味わかってない気がするから。「むしろバディらしくない連中」をただ集めたって、そんなもん、もちろん綺麗ごとなんかじゃ組織なんて運営できない。だから癸丑の方では、おもに、「仕事の難易度」によって物事が厳密に割り振られる形が次第に出来上がった。ある意味、平等、ある意味、実力主義。機会も教育も完全に均等。だからこそでもある。大学の学歴さえもちろん計算されて述べられている。なぜならそれは不公平にならないようにするために。正当な評価項目と考えられてるってこと。
それが「ソビエト連邦」のようなていを奏してしまったことを反省しないとなんなかった。だからその意味で言えば「本来の癸丑」を連邦から分離させる必要が出てきてしまったわけでもあった。大規模UNIXシステムから本来のUNIXを分離させるって言ってるのに等しい。
別にAV男優とゲイ雑誌編集部の間に区別はない。もちろん政治家とAV男優の間には何の違いもないと考えてる人がやってるんだけど・・・。そう言いすぎのかもしれない、って思ってた矢先、今度は「社会性」の方が逆に別の行き詰まり方をしてしまった。
だって・・・国会議員なんてその辺の高校生でもできることしかやってないじゃん。
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