2024年5月17日金曜日

人に言われないと自分が雑な議論してることもわかんないやつららしい。

 今まで与党の方にいたから、与党責任とか行政上の責任とかを考える羽目になったが、そうでなくなって、単純な意味で信仰集団としての教団が、仏の教えの実践として自分だけいい思いをすることを固く戒めるような信仰だった場合、癸丑が外からどう言っても、結局それは信仰集団としての教団には意味を持たなくなるはずだら。
 そう言ってるだけなんだけど。結果としてそれによって信者が激減したとしても、信仰集団としての教団にはそれでもそうでしかないはず。言ってる意味も人から言われないと理解できないっぽい。

 つまり、教団が信仰上の理由で、だから与党責任や行政上の理由じゃなく、信仰上の理由で癸丑の意見を聞き入れなかったとしたら、教団そのものに対しては、実はそれ以上とやかく言えなくなる。

 どっちにしろそっから先は教団自身の問題になってくるだけな気がする。もちろん私はそんな教団には入りたくはないけど。
 ちなみに私の場合、癸丑みたいなことはさんざん言うんだけど、ハッテンなんかで自分だけ気持ち良くなって相手をただの快楽の道具にすることを逆に非常に嫌う。倫理的にも信仰上の上でも実はそうなんだけど。これらはどっちかって言うと、キリスト教の、特に旧約神学的な観点になると自分では思ってる。ブーバーの「我と汝」とかに近い観点だと思ってる。なんでも新約で解釈しようとするっぽい。やっぱり。
 きっと獣に成り下がってくる、ぐらいの意味で言ってたんだけど、たぶん誤解されてるっぽい。

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狙って「これだ!」ってやらないと

年齢的にもわたしだって スルーしちゃうところだったのよ。 ズルい、自分ばっかり。 そんなこと言ったって、 あんたの感覚なんてわたしには わかりにくいんだもん。 普通やっぱりスルーしちゃう気がする。