マグロウヒル大学演習シリーズの「現代論理学」と元認知科学科の計算言語学者ぐらいしかさほど意味がない。しかし彼らは実は司法権力が背景にあって自分たちのその研究が温存されていることをおそらくは知らない。アメリカでもそう。まだいくつかはっきりしない点があったから。
最近の先進諸国でやっと調査と実態解明が進んで、ほぼ最高権力ぐらいのレベルで、やっとその手のことがはっきりしてきた。論理学は必要、しかも、現代の数理論理学でないと意味がない。
今まではITが盛んになったからだと思われていた。本当は違う。司法が理由になる。その司法が論理的な訓練をするために、ロースクールで論理学もどきを実際に取り入れた。ロジカル・シンキングとかを。結果はたいした成果は出なかった。しかしロースクールでブール代数をやったからって・・・伝統的な論理学の方がいいんじゃないんだろうか?また方針が揺らいでしまった。結果は逆に意味がなかった。論理としても恣意的で、恣意的なところで命題論理を持ち出してきて、科学捜査でも学んだ方がマシとしか言いようがなかった。
映画「薔薇の名前」からの一場面。
「キリストが笑ったとは聖書には書かれてはいない。」
「逆のことも書かれてはいない。」
このやり方が伝統論理学の様子にもなる。こういうやりとりをしちゃうらしい。ほんとは何も言ってないことになるんだけど。
はっきり言って司法権力っていうレベルの高さで考えると、ロジカル・シンキングぐらいなんてママゴト同然で、そもそも司法用のITシステムを一緒に構築すれば普通にもっと高度に論理的な話をしてるに過ぎない。
ゲイは皆、男性同性愛者である。(全てのゲイは男性同性愛者である。)
男性同棲者は旧制で対応される。
∴全てのゲイは旧制で対応される。
さて、この論理は一体なにがどうおかしいんでしょう。
君らってロースクールを卒業できなくて当たり前の程度しちゃってるかも。先進諸国で各国の最高権力が出てきても何にもおかしくないレベル。
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