2024年5月30日木曜日

なぜ数理論理学であって記号論理学でないかっていうと。

 似ていて違うんだけど。なぜかっていうと、単に伝統論理学を記号を使って表した、っていうそれだけじゃなくて、数学的に述べることで、あくまでもXY平面の中だけでしか成立しない論理であっても、逆にその2次元平面では厳密に意味が定まるからでもある。

命題A「犯人はゲイではなかった。したがってノンケだった。」

これが現実に正しいかどうかはとりあえず論理学の対象にはならない。まずそこで、そこそこ当ってたりそうでなかったりする。むしろまさにそれを言ってる。伝統的な論理学の使われ方も、まさにそうだった。

証拠A「犯人はゲイではなかった。なぜならラブホに入店したのは男女のカップルだったから。入口の防犯カメラに映像が残っているから。」

論理ではなく証拠によって証明した。だったらさっきの命題Aの否定命題〜Aに関する言明はいったい何だったんだろうか?

言明A「犯人はゲイではなかった。それは品性の名において蔑むられるべし。」

全く違う話をしちゃってる。さらに厄介な言い方をすると、

厄介A「犯人はゲイじゃなかった。同性愛者だった。」

 ・・・・・・。

 また言い始めちゃってる・・・法律文の文面に関するテクニカルな話をしてるって次第に気がつかなくなってくる。同性婚は誰のため?ゲイのため。でもゲイとノンケが結婚する可能性がないとは言えない。だから法律の文面には「同性同士」と書かれた。でも、そもそも誰のための制度だった?

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京都大学を出ててこんなもんらしい

🔰ゲイデビュー科・主任 傷つくからそれ...... ほんとに聴く価値がない。 「三枝の愛ラブ!爆笑クリニック」でも観てるほうがまだマシ。 新婚さんいらっしゃ~い すごいね。みんながんばったね。 酒井や細野と同じぐらい幼稚。 ※細野豪志 京都大学法学部出身