2024年5月20日月曜日

「誤訳の構造」の誤訳について。

 一番最初の

 I have lost faith in the novel.

を「私は小説の中で信仰を失ってしまった。」が誤訳だと始めてる。正しくは「小説に対する信頼を失くした。」って言ってるこの本の中では。だから微妙な本になっちゃったんだけど。

 ・・・・・・。は?・・・はい?

 目的語と補語の違いを、「〜を」と「〜に」って言って説明してる次元で考えてるに等しい。だからこの「誤訳の構造」そのものもまた別の誤訳になってしまってる。そういう本。

 I go to the school. the schoolは前置詞toの目的語。でも訳は「〜へ」。
 I want to buy the book in the store. the storeは前置詞inの目的語。でも訳は「その店で」。

 ・・・・・・。あなたキ・ラ・い。大阪の易者だもん。

 よく言われる。この辺の世代から。おまえバカなんだもんだって。つまり、I have lost faith in the novel.の訳から考えると、実は差が出ない日本語になる。つまりどっちとも取れるってこと。強いて説明のための、ややぎこちない英文をでっち上げると、

 Look at me.

もちろんlook atで熟語だから「私を見ろ。」って言ってると思うわけ。では、頭が悪そうな英文解釈として、

 Look / at that time. あの時間に / を / 見ろ。

この解釈は絶対に成立しないか?

 ・・・・・・。あなた、ちょっと・・・。日本人じゃない......お作法があるでしょ。

 やはり、バ・・・・もっと頭が悪く卑しい考え方をすると、lost faithっていうロスト・パラダイスに似た表現で信仰を語っているから、have lost faithを「信仰喪失を持つ」っていうさらに頭が悪そうに考えてみることにすると、

 うん。うん。

 普通、信仰を失った、ってただ言うだけなら、現在形でlose faithって言うっぽい。I lose faith in the church. たまたまその教会っていう場所で、たまたま今その時にその場で信仰を失ったら、なんて言うんだろう。

 ・・・・・・。あなた、キ・ラ・い。

 教会に対する信仰をその場で失ったのか、教会にいる時に信仰そのものをその場で失ったのか、区別しがたい?あるいは後者ならI lose faith at the church.になるはず?
 つまり私の予想だと、I have lost faith in the novel.は「私は小説の中で信仰を失い、小説そのものへもそれを失くした。」例えばそれこそ「失楽園」とか読みながら。なぜならキリスト教圏では文学や小説は哲学よりも価値が下なぐらいだから。神学は天国、哲学は煉獄、文学は地獄。でもその文学がポッと出みたいに華を持ったのもオスカー・ワイルドの19世紀ぐらいの話な気がする。「失楽園」や「ドリアン・グレイの肖像」とかを読みながら、しかも他でもないゲイがそれを読んだりして、この小説の中で信仰を失い、だからゲイとして生きることにした、でも同時にこういった小説そのものへの信頼も同時に無くしてしまった。こういう感性が考えられる。

 もっと頭の悪い話しようよ!わたしたちなんてどうせ卑しい占い稼業なんだから。

 ちなみに熟語やイディオム、つまり二語以上で一つの動詞になってる群動詞の場合、教会に対するって特に書かずただ信頼をなくすって終わる英文だったら、I lose faih in.って書いてないとむしろ正しい英文にならないはず。この場合目的語が欠けるが、だから自動詞の用法をしてることになるが、実際にこう言わないとなんないはず。ex. Take off !!! 逆にgo toは群動詞ではないから、そうはみなされないから、第1文型でThe space shattle goes.と言うことはできても、×I go to.ということはできない。もしgo toが群動詞だったら必ずこう言わないとならないはず。ex. GO!!!GO!!!GO!!!
 男でも女でも見境なく好きなようにやりまくる秘密倶楽部に参加した。それによって俺は世間の常識に縛られて生きることをやめた。だが同時に、こういう秘密倶楽部そのものへの興味も失くした。こう言えばわかる?君、大阪人だよね、ほんとに。

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ホモ恵!うなぎ!ホモ恵!うなぎ!

酒井ってほんとにバカすぎる。 ね。 卑しい生まれのくせに 本名 荒井尚樹 ほんとにクソみたいにゴミなのに。全員。 何にも言うな。だったら。 ♪あなたがわたしを ♪選んでくれたから