🔰ゲイデビュー科・主任
が、高校が舞台だと......
......実はあたしの高校時代もなにげにそうだったんだけど......
ノンケもいっしょにやってたことがある。
高3のクラスでのカラオケで、
クラスみんなで誰も仲間外れにしないで1学期ごろに
カラオケに行ったんだけど。
実はそのときにわたしたちは「みんなでカクテルを飲んでた」。
えぇ話しや
それが言うほどそうじゃなかったの。
「誰も仲間外れにしない」っていうクラスのスタンスが、
どっちかっていうと裏目に出た。
結果はやっぱり......物足りない平淡な悪平等に陥った。
ノンケの彼らには「それをする」根本的な動機が本当はなかった。
あるわけなかった。
一方で当時は90年代のまっさなかで、
だからつまりバディと同じで、そもそも「ゲイであること」そのものが、
まだ立法権で試験的に進められてる頃だった。
だから実は、もちろんわたしは、すでに「立法権とかかわっていた」。
「ゲイであることが試験的に進められている」っていうのは、
あ。
まぁきっとあんたもだったのね......
立法権の次世代新制度の事前の検証機能だったってこと。
しかし高校は県立高校だったから、管轄は県教育委員会で、
つまり都道府県であって国権の最高機関である国会じゃなかったってこと。
義務教育と実はこの点が、意外と異なる。
背景にある権力が、国政の中心か、地方の都道府県レベルか。
この点が言うほどノンケにはほとんど実感がわかない。
せっかく恵まれた地元の良さを離れてまでそんなことをする理由が
ノンケには本当にないの。はっきり言って本当にそうだった。
もし「パレードやNLGRに高校生が地方から出てきて参加する」
っていうことをやるとしたら、かなりはっきり違いが出るはず。
静岡県教育委員会がどう働きかけても、
東京パレードも名古屋のNLGRも、静岡県の外。
地方権力は地理が行政区画そのまま、その中でしか権限を有さない。
外に出ればいっさい無効。
だから静岡県の権力では外に出たとたん誰かと出会わせたりできないってこと。
意外とちがう。......意外と知らなかったらしい......
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