自分はわたしに教わってるわけじゃなくて、
本質的に教わってるわけじゃない。
教えることもできない。
あぁ?
感応で「得ている」。本質的に教わってるわけじゃない。
教えることもできない。
濡れた女教授
わたしを愛することをわたしから教われるとでもこのバカ?
第2の習慣 Begin with the End in Mind
終わりを思い描くことから始める
自分の葬式をイメージする話が書いてあるから
ちょっと語弊があるんだけど、
うん。
どっちかっていうと、
「NLGRの企画を計画する際に
当日最後のふーせんを飛ばすラストから考える」
って言ってるのと同じことになる。
ちなみにわたしはそういう考え方をもちろんしてない。
互いの違いをわからせないとなんない。
なんでそう思ってんのか逆に不思議な気がしてしまう。
自分だったら?
う~ん・・・一番盛り上がる「山場」から考えるわね、
どっちかっていうと。
そしてたいていわたしはそこからズレたところにいる。
は?
たいていそう。
だってわたしの言ってることそのものが
そもそもNLGRには乗りにくいから。
予算、人材と人員、時間配分。
これらを「山場」の時点で先に考えるのかも。
あとはその前後を埋めてくような
考え方をするわねきっと。
わかんない?
わたしだったら英語学習の「山場」は英文読解だと考えてる。学習の中心にも英文読解が据えてある。実際にそう教えてみた。そしたら彼らは「英語長文こそ山場だ」と返してきてしまった。「長文なんて精読の積み重ねの延長に過ぎない。だから次にパラグラフ・リーディングをやればいいだけ。」それは彼らにはさほど納得がいかなかったらしい。
ちなみに「山場」が先に来てしまうこともある。
あ。
そういう場合もある。
だからイメージとまた違ってしまう。
「山場」が中盤とは別に言ってない。
「山場」が先に来てたら
あと遊んでるだけなんだけど。
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