今までのやり方を引きずりすぎてるらしい。
とりあえずいったんは忘れたほうがいい。今までのやり方を。
とりあえずいったんは忘れたほうがいい。今までのやり方を。
・ネットを使った出会い、ハッテン掲示板を組み込んだやり方ばかりをしていた。そもそもそれ自体をいったん忘れる必要がある。
・本人は「癸丑と相性がいい」とそれなりに信じ込んでる。しかも「それは違う!」とはっきりと断定的に否定できないような微妙さをしてる。たしかに甲子となら癸丑は支合してるから、おまけに正印の印綬の関係で、トータルな方向性がどこかで合っていた。合っていたというより「自分に合っていた」と言ってることでしかないんだけど。ネットで出会う、都会的なハッテン、真夜中の車内...まず先にこういうところで、どっちかっていうと、「ライフスタイルとしての都会のハッテン」の方向性が合っていた、と言ってることになる。必ずしも「タチとネコとして合っていた」の意味にはなってはいない。
・本人は「癸丑と相性がいい」とそれなりに信じ込んでる。しかも「それは違う!」とはっきりと断定的に否定できないような微妙さをしてる。たしかに甲子となら癸丑は支合してるから、おまけに正印の印綬の関係で、トータルな方向性がどこかで合っていた。合っていたというより「自分に合っていた」と言ってることでしかないんだけど。ネットで出会う、都会的なハッテン、真夜中の車内...まず先にこういうところで、どっちかっていうと、「ライフスタイルとしての都会のハッテン」の方向性が合っていた、と言ってることになる。必ずしも「タチとネコとして合っていた」の意味にはなってはいない。
※証拠:イオンショッピングモールまたはウェルシアか近所のコンビニで昼間に出会う。本人の中でこの可能性はおそらく完全にないはず。話しかけもしないだろう。それなりに自分にばかり都合のいいことを実際に言ってる。
まぁ結果的にはネット掲示板を使ったハッテンという形式に実質的な中身を大幅に補填したことになる。たしかにそれは癸丑の力だが、つまり本人にできるわけないんだが、それが癸丑の本質だとだいぶ勘違いしてるわけでもある。要するにオナニー的な理解の仕方をしてる図々しさがありすぎる。
・しかもこの癸丑っていうのは、1973年の癸丑、バディ全盛期のゲイ業界の陰の重鎮としての癸丑を大部分意味してる気がする。
・たまたま甲子の自分と支合する癸丑が、丑という陰土であったことで、内在的に己土をどこかで含意していた。だから「それは違う」「それはタイプじゃない」とはっきりと断定できたりはしない微妙さを抱えてしまってる。丑の蔵干には癸・辛・己があり、本気は己であることも留意されたし。
・さらに、さらに微妙に、まだ不確定要素がありすぎる、日座=日柱蔵干が「甲子,癸,印綬」になってて、紛らわしくそうなってて、もともとそれを求める傾向性があったんじゃないか...っていうところがあってしまう。二重に不確定要素があってはっきりと否定的に断定はしにくい。
・己土を好みのタイプとする傾向性はすでにかなりはっきりと出てる。
・こいつが高品質を好む傾向性は実際にあって、こいつの期待通りの水準で完成しているものが、そもそも、まだ子丑支合空間しか、ない。だからなんでもこの空間にあてはめて考えてしまうらしい。しかしそれを言うなら、どっちかって言えば、壬子と癸丑の陰陽水行支合が作り出した形と時空間を意味していて、むしろ甲子の自分さえそれに当てはめて考えているから。こいつの月柱天干が壬であることにも留意されたし。
証拠:いつも行っていたラブホの内装は、必ずしも子丑支合空間だけを意味してはいない。
・コロナクラブってそれなりにバカかも......こいつの言ってることって...一世代ぐらい丸ごと遅れてて古い、都会のゲイの生き方の話をしちゃってるだけっぽいら。南部町ケツマンコサークル代表・卑しいガバマンとしお。使い込んでて黒ずんじゃった卑しいアナルとしお代表と不愉快な宿敵たち。飲み会はいつもおごり。
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