どうせ集まったってすごいゴミみたいなこと言ってるのオチなんだけど。まぁ私は出席しなかったけど。札幌や多摩に住んでてあんな程度だなんて思ってないっぽいし。そのくせ本家の人間に筋違いな厳しさを振りかざしてるなんてよほどのバカでしかないら。どうせもうそういう連中でしかない。
実際によほどのバカでもう相手になんてされてないんだけど。
実際によほどのバカでもう相手になんてされてないんだけど。
出席しなくていいって言われたから実際に出席しなかったけど、だから同時に、子供が誕生しても俺の知ったこっちゃないからって突きつけて当たり前でさえある。呼ばなかった場合もそれに相当する可能性は充分ある。
お前の嫁の名前さえ私は知らないから。どうしてそんなやつらに会ってやんないとならないって?お前のきっと何にも知らない。
「わたしたちお前の嫁のことなんて知らないからッ!」
私たちは結婚なんてできないから。完全にゴミの理屈しちゃってる。
あ、そうそう、言う必要もないかと思ってたけど、あの葬式の日、わたしだけ別の車で会場に移動した。葬式だからもちろん事前に地図は配られてる。・・・やっぱりやめてほしい・・・古いおじさんたちと同じことしないでほしい・・・って言いだして、私だけGoogle Mapの地図をプリントアウトして移動した。移動ルートもだから他とは異なる。古いことをされたくなかったから。
そしてもう古い人たちは、自分が全く見当違いなことを言ってるって説明する時間もなく、うまく当日をやり過ごすほかなくなってしまった。古い懸念は必要なかった。ただ顔を立てられたに過ぎない。親戚や近所や関係者から遺族が叩かれるか心配しちゃってる。・・・そんなことをしようもんなら、私に潰されてるよ、その連中が。
本当はもう新しすぎて理解できなかったに過ぎない。まぁつまりこいつらが思ってるのとは逆だったんだけど。戦力が欲しい時に力を封じてしまってたから。だからあの少し前に剣道部では大粛清があった。現実に戦力として使えるかどうか。使えないのはその意味にあらず。
他。近所や親せきや、あるいは障碍者の関係者が故人のためを思って余計なことを言ってくる可能性が、あってしまった。とりあえず、邪魔。後で説明するほかない。つまりこういうこと。
障がい者仲間や介護士とかが終わったばっかりでまだいつも通りに考えて動いてしまう可能性があるから、「あっ、もういいから。出過ぎた真似をすることになるから自重しろ。」って言わないとなんない。「下がれ、って言ったら下がればいいから。」こう言わないとなんない可能性があってしまった。
障がい者だった故人の「障がい者だった部分だけ」を強調してしまいすぎると、逆に故人のその一部だけを強調し過ぎてしまうことになるからだって、言われないと意外とわかんないっぽい。晩年の介護されてた頃だけを強調してても同じことだってこと。
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