は?
ホントにそう思ってるっぽいんだって。BL風バディとBL風G-menは企画の上では全く等価でしかない。BLの本来の作り方を、バディで行うか、G-menで行うか、っていうただそうでしかないって意味で。しかし実際にそんなことができたのは・・・G-menだけだった。バディにはそんなことできた試しはない。
この辺<......>の世代って勘違いしてこう思ってるっぽい。BLとバディは全く違うもの。
完全にBL≠バディ。
同じもんだったと思ってる節がある。
バディが発売された1993年は、まぁ奇しくも癸酉の年だったんだが、私は高校1年生だった。バディ全盛期と言われる1972年度はすでにこの頃、私の5つ歳上だからちょうど20歳を過ぎたばかりの頃だったことになる。だからバディ全盛期の彼らは、実は、学校を卒業した人たちのゲイライフをしているのが大半だった。ではその頃のBLは?と言えば。当時はまだBLという言葉もなくヤオイだったんだが、まだ大人になってはいない未成年の高校生ぐらいを読者として考えて作られていたのが大半だった。今でもその観点は根強く残ってる。
つまり本当の高校生にはバディはまだ早すぎるって事。それはバディ発売当初からして実はそうだった。
もちろんサガスカのパルマンテ編はG-menの事なんだけど・・・言わないでわかったりはしないらしい。逆に言えばミンサガの方がよっぽどこの世代のバディっぽさがある。どっちかって言うとバディっていうのはこう思ってるんだけど。
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